不登校・発達 子育てほんろう日記

小学生から不登校の次男。発達障害に不安障害。現在進行形の記録ブログです。

不登校!中学生。3年目突入!

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初めまして。3兄妹の子育て中のコドモママです。

主に不登校になった次男の成長と子育ての葛藤などゆっくりと書き留めていこうと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします😀

 

さて、表題のとおり、次男は今年4月から中学一年生になりました。

そして、不登校歴3年目に突入してしまいました😲

 

今回は次男が不登校になったいきさつを書いていこうと思います。

 

 

 

不登校のいきさつ

次男は小学校5年生の春に不登校になりました。

当初の直接の原因は、嫌いな先生が担任になったことでした。

もちろん、深く探っていくうちに原因はそれだけでは無いとわかってくるのですが、

当時の私も本人も内にある原因が解らず、原因を外に求めていたのです。

 

新学期当日、ドキドキしながらいつも通り登校していきました。

 

帰ってくるなり、不機嫌モード爆発🤬

 

「もう学校へは行かへん!!!」

 

以前から嫌いな先生の存在は知っていて、この先生が担任になったら行かないと宣言していました。まさにその通りの事が起こってしまったのです。

 その先生は4年生の時の隣のクラスの先生だったのですが、とにかく怒鳴る先生で、怖いと感じていたようです。理不尽な理由で怒られた嫌な思い出もあるようでした。 

例年通りなら4年生の担任がそのまま5年生に上がる事は無かったので、まさかその先生に当たるとは思っていません。引継ぎの時にトラブルのあった子とはクラスを離してほしい事以外は話していませんでした。もちろん後の祭り。私は激しく後悔しました😰

 

実は、5年生から不登校になるまでに前振りがありまして、

そのトラブルになった子とは4年生でのクラスメイトでした。

次男は2年生~4年生まで度々登校渋りがあり、先生嫌いもその原因の一つでもありました。

 

特に4年生でのトラブルによって遂に、

    

ベッドから出てこられなくなってしまいました。

 

登校渋りは週に1度起こるようになり、私はそのたびに叱咤激励をしていました。

「意地悪に負けるな!」「先生に言ったらいいねん」「嫌な事は嫌って言わな!」

学校へはなんとしても行かせなければ。一度休むと癖になる……当時そう思い込んでいた私は次男が学校であった嫌な事を吐露される度、叱咤激励を続けていたのでした。

 

クラスメイトに暴言を吐かれたり、ぶつかってこられたりの嫌がらせ行為。

仲良くしていた友達にも嫌な事をされる。

先生の怒鳴り声。

理不尽な叱責。

他のクラスメイトへの虐めの目撃。

視線恐怖。

先生への信頼感が失せる。

 

学校は敵の巣窟……

 怖い。

ベッドの中で泣きながら言った言葉が未だに頭から離れません。

 

「学校には居場所がない。死ぬのは怖いけど、消えたい。」

 

その言葉を聞いて初めて彼の心に重大な事が起こっていると気付き、学校を休ませる決断をしたのです。

涙が出ました。

子供が苦しんでいる。

なのに何とか学校に行かせようとしていた自分が鬼婆👹に思えてきました。

 

 

次男の良い分をきき、学校から相手に聞き取りしてもらったり、話し合いの機会をもらったりしました。

何とか仲直りをさせて問題を解決したい先生は、学年主任の先生と共に対応。嫌がらせをしてきた相手の親御さんの謝罪も受けました。しかし、次男本人は相手を許す気はありません。仲直りは失敗に終わります。

結局しばらくして、嫌がらせが復活。ついには先生も見て見ぬふりをする状況。(次男からの聞き取りだけなので真相は?)

もともと怒られる原因が解らずに怒られる(後々発達に問題ありと判明)事が多かったため、次男は先生嫌い。

先生への強烈な不信感が生まれるのにも無理はありませんでした。

 

そんなこんなでも何とか登校し、3学期の終わりを迎え、春休み。

5年生の新学期が始まり、担任が嫌いな先生……頼れる友達ともクラスを離され。

ついに心がぽっきりと折れ、不登校が始まったのでした。

問題は全く解決していません。うまく学校生活を送れるわけがありませんよね😓

後々気づくことですが、もちろん当時の私はその場しのぎで何とかなると思っていたのでした。

 

続きは次回。

 

ゆっくりと更新していきますのでよろしくお願いいたします。

少しでも共感・参考になれば幸いです。

 

 

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